江本手袋

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江本手袋のエモーション

香川県の地場産業である手袋製造は1888年(明治21年)、白鳥村千光寺の副住職であった両児舜礼が大阪で当時「手靴」と呼ばれたメリヤス製の手袋製造技術を持ち帰ったことから始まった。これといった産業も無く厳しい暮らしだった地元に「地域住民が安心して働ける産業を」という志だった。後にいとこの棚次辰吉が帰郷し、手袋製造所を設立。舜礼の事業を継いだ辰吉は香川県手袋産業の発展に大きく寄与した。

手袋は大まかに、編手袋(あみてぶくろ)、縫手袋(ぬいてぶくろ)、革手袋(かわてぶくろ)の3種類に分かれる。編手袋は毛糸を編んだ手袋で、編み機で製造するニット製品。昔は指が一体になったミトンタイプの編み手袋が多かったが、後に五本指の手袋が全自動で作れる編み機が開発され、それが現在のニットウェア等に見られる無縫製ホールガーメントのルーツとなる。革手袋と縫手袋はミシンによる縫製によって手袋を作る製法で、江本手袋は縫手袋を最も得意としている。縫製によって手にフィットする立体的な仕上がりと見た目の美しさを両立する手袋にするためには熟練の縫製技術が欠かせず、その細かな作業と多くの工程は手間を要する。

江本手袋の手袋は、職人たちが磨き上げ、受け継いできた縫製技術と思いの歴史そのものと言えるだろう。

1940年頃詳細を見る

江本手袋は1939年(昭和14年)の創業より一貫して縫手袋を追求してきた。和菓子職人として働いていた故江本綱太郎(つなたろう)は親族が経営する手袋メーカーの田中商店で働くようになり、そこで身に付けた技術を基に1939年(昭和14年)江本手袋製造工場として独立創業したが、直後に第二次世界大戦に突入し一時休業せざるを得なくなった。

戦時中は、愛媛県新居浜の工場へ徴用された後に陸軍第55師団に召集されビルマに出兵。終戦後1946年(昭和21年)に帰国して営業を再開した。

1939年(昭和14年) 江本綱太郎は日本が日中戦争から第二次世界大戦に突入していく最中、義兄弟の田中佐一が経営する田中手袋商店(東かがわ市引田大道)に勤めていた。綱太郎は江本シヅエと職場で知り合い結婚し、田中手袋から独立して引田二七二三番地で江本手袋製造工場として創業する。(二重環ミシン8台、四本針ミシン1台、従業員10名)
1940年(昭和15年)1月 長男、弘が誕生。
1941年(昭和16年) 太平洋戦争が勃発。
1942年(昭和17年) 国民徴用によって綱太郎は家族を連れて新居浜の工場に徴用され働くこととなる。
1943年(昭和18年)11月 太平洋戦争は激しさを増し、綱太郎は陸軍第55師団に召集されビルマに出兵。
1945年(昭和20年) 太平洋戦争終戦。
1946年(昭和21年)5月 綱太郎は帰国後、再び手袋製造を再開した。生地などは進駐軍の払い下げられた生地などをリアカーで旧白鳥町まで調達に行き縫製したりしていた。
1947年(昭和22年) 次男、新一誕生。

1950~1960年頃詳細を見る

1956年(昭和31年)には有限会社江本手袋商店として法人化した。

初代故江本綱太郎は、子供の制服の名札が少し曲がっているだけでも注意するような几帳面な性格で、規則正しい生活を重んじた。酒豪の一面もあったが隠居後は健康面からぷっつりと酒はやめ、銀行の支店長や旧知の友人たちと将棋を楽むなど、穏やかな余生を過ごした。

江本手袋を二代目の江本弘に事業継承してからは一切口出しすることなく経営を任せ、相談された場合にのみアドバイスする程度であった。

1956年(昭和31年) 有限会社 江本手袋商店に社名変更。
1958年(昭和33年) 長男 弘、入社。
1960年(昭和35年) 工場新築。
1964年(昭和39年)3月 弘、和美と結婚。
1968年(昭和43年) 従業員宿舎工場完成。

1970~1980年頃詳細を見る

二代目江本弘(ひろし)は大らかで人懐っこく、人を喜ばせることが好きな性格で、外出先の飲食店でたまたま居合わせた客と意気投合するようなことがよくあった。経営を引き継いでからは順調に販路を拡大していき業績を伸ばしたが、当時の海外生産の流れには乗らず地元の外注先を大切にする創業からの考え方は変えなかった。

(かつての手袋産業は近隣の主婦や小さな工場が分業で作り上げるスタイルだった)この考え方は、過去この地域に何百件もあった手袋工場のほとんどが姿を消した現在も受け継がれ、地元の縫子さんを切ってまで海外に安いコストを求めない姿勢は、人と人の繋がりを大切にする丁寧なものづくりに繋がった。

また、昔ながらの製法は変えないが、人を喜ばせるための新しい技術やデザイン、素材、刺繍加工にチャレンジする自由な発想は、現在の江本手袋らしさとなっていった。

1970年(昭和45年)6月 弘、美和夫婦に長男 昌弘が誕生。
1978年(昭和53年)8月 江本手袋株式会社に社名変更。
1983年(昭和58年)4月 創業者 江本綱太郎が代表を退任。江本弘を代表取締役とする。

1990年以降詳細を見る

三代目江本昌弘(まさひろ)は、江本手袋の取引先であった手袋を扱う東京の商社に勤めた後に帰郷し、代表に就任した。

祖父故綱太郎と父弘の二人の背中を見ながら育った昌弘は、自身が手袋に関わる中で、この地に手袋をもたらした谷次氏に想いを馳せるようになった。そして、福島令子氏の手袋への情熱に共感し、新しいビジョンを描いた。

人の心を震わせる手袋を通じて、先人たちの想いを受け継ぎ地域社会から必要とされる手袋メーカーになること。そして、江本手袋が自分らしさを表現できる憧れの存在になることだ。

これまでの、ライセンスブランドやドメスティックブランドのOEM生産で培った実績、創業から変わらない日本の国内製造、細やかな小ロット対応、色々な素材への柔軟な対応、特別な刺繍が施された手袋など、江本手袋には強みがある。この強みに自分たちの想いを乗せて、新しい手袋の歴史作りへの挑戦が始まる。

1994年(平成6年)9月 昌弘 東京の手袋問屋に入社。
1995年(平成7年) 資本金1000万に増資。
1997年(平成9年)5月 昌弘 入社。
2003年(平成15年) 引田町、白鳥町、大内町の3町が合併し東かがわ市が誕生。
昌弘 茜と結婚。代表取締役を1名増員して江本弘、江本昌弘の2名とする。