VOL .18

楽しみを育てる

「えっ、いいなぁ」

 久々にオンラインでしゃべった大学時代の友人は、席を外したかと思うと部屋の奥の方でごそごそし始め、一枚のポスターを大事そうに出してきた。

「あ、そのイラスト、見たことある。誰のだっけ?」

 大きくキリっとした目が印象的な女性の絵。確か、昔の雑誌の表紙だ。レトロさも感じさせつつ、現代の私が見ても抜群のセンスだ。

「東かがわ市って、中原淳一先生が生まれた所でしょ?」

昨夜、夫に「転勤で引っ越すかもしれない」と突然言われたことを話したのだ。私は「香川県の東にある市なんだろうな」としか浮かばなかったのに、彼女はよく知っていたものだと思う。だって友人のグレイスは、イタリア在住のイタリア人なんだから。

「私、ファンなんだ。本も持ってるよ」

 芸術に疎い私でも、中原淳一のイラストは見たことがあったし、名前も聞き覚えがあった。数々の雑誌やファッションの現場で活躍した、戦時中も女性に夢を与えつづけたカリスマ的画家だったはず。

東かがわ市と聞いて、ただの田舎町だと思い込んでいたのに、グレイスの一言で一気に視界が明るくなった。だって、生まれ育った土地を離れるのって、けっこう憂鬱なものなんだ。友達や家族とも気軽に会えなくなるし。でも、結婚したばかりなのにすぐに別居する気にはなれなかった。

「優花が東かがわ市にいるうちに、絶対に遊びに行くね」

 グレイスはそう言って大きなあくびを手で隠した。それもそのはず。こっちは朝だけど、イタリアは真夜中なのだ。日本語の翻訳者として活動している彼女は夜型で、こうして話すのは決まって日本の朝だった。

「おはよう。今日は帰りに優花の好きなシュークリーム買ってくるから、機嫌直して」

 夫は起きてくるなり、申し訳なさそうにパジャマ姿でこう言った。いつも食べ物で私のご機嫌を取ろうとするの、やめてほしいんだけどな。

「引っ越したら、休みの日の度にどこか連れてってね」

「何があるんだろう?」

「わかんないから、行ったら向こうの職場の人に聞いてみて」

「わかった。じゃ、行ってきます」

 いつの間にか身支度を整えていた夫は、通勤かばんをつかんだ。

「帰りにシュークリーム、忘れないでね」

 夫はフッと笑って、手をふりながら玄関を後にした。

 さて、私も準備しなきゃ。

 知らない街へ移り住むのはものすごく不安だけど、それよりも小さな楽しみを育てよう。心配するより、腹をくくって楽しむんだ。今日は仕事の昼休みに、観光情報でも調べてみようかな。

「佩」とは

佩(ハク)とは、江本手袋が「喜び合える手袋づくり」を目指して取り組む手袋ブランドです。

職人を守り育て、地域の手袋づくり文化を未来へと受け継いでいくために、扱う素材、デザインの考え方、色展開、つくる量、手袋職人の社会的地位、そして地域との関係性など、これまでの手袋づくりの全てを見直しました。

江本手袋に勤める65歳の職人は、中学卒業からずっと手袋を作り続けています。

佩は、このような本物の職人たちの手仕事をお届けします。

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