VOL .15

裏も表も

手袋の生地は、うすくてやわらかいものほど気を遣う。裁断機の刃に吸い込まれないようにするには、長年やってきてはいるが気を抜くわけにはいかない。

「幸一さん、一休みしませんか」

 同じくベテラン手袋職人の藍子さんの声に、ハッとして顔を上げる。部屋のひんやりとした空気が、急に顔に貼り付くように戻ってきた。

「きりのいいところまできたら、行きます」

 目や腰が痛い。ということは、そこを使っているということだ。何もしなければ、傷むこともないんだから。

 工房を出ると、お客さんがちょうど来たところだった。暖かそうなベレー帽をかぶった、若い女性だった。何色もあるラインナップから、そっと手に取っては戻し、また他のを取っては悩んでいる。その様子を、私は藍子さんと共に部屋の奥からじっと眺めた。

「大事に使います」

 やっと決まったようだ。ベレー帽と同じ水色の手袋を、そっと胸にあてている。

どんな苦労も、一瞬で吹き飛ばしてくれる魔法のようなものは、この世に笑顔しかないと私は考える。店を出ていくお客さんの表情は、おだやかでやさしく、職人の私にとっては何よりのご褒美になった。

「さっきのお客さん、ほんとに嬉しそうでしたね」

 藍子さんにとっても、きっとそうなのだろう。

翌日、久しぶりに新聞の取材が入っていた。東京からわざわざ来てくれるらしい。

記者の方が来てびっくりした。なんと、昨日のお客さんだったのだ。手には、購入した水色の手袋をしている。

「昨日、お店では気付かなかったんですけど」

 記者さんはそう言って手袋をはずした。

「この手袋、長い時間していても、全然違和感がないんですよ。裏まできれいで」

「手袋は、裏も表もきれいじゃないと」

 私の横で、藍子さんはそう言って微笑んだ。

「手は第二の脳って言いますもんね。私もこの手袋みたいに、見えないところも細やかな人になりたいなぁ」

 さすが新聞記者、うまいこと言うなと思った。

 それから私達は工房に入り、使い込んだ機械を見せ、昔ながらの製法を説明した。

「こだわりが、つまっているんですね」

 記者の女性は最後にそう言って、メモ帳をパタンと閉じた。私は、黙ってうなずいて見せた。

「また来ます」

 笑顔の次に好きなのは、この言葉だ。

「またいつでもお越しください」

 短い別れの約束にはならないけれど、これ以上に希望が持てる言葉はなかなかない。

 

「佩」とは

佩(ハク)とは、江本手袋が「喜び合える手袋づくり」を目指して取り組む手袋ブランドです。

職人を守り育て、地域の手袋づくり文化を未来へと受け継いでいくために、扱う素材、デザインの考え方、色展開、つくる量、手袋職人の社会的地位、そして地域との関係性など、これまでの手袋づくりの全てを見直しました。

江本手袋に勤める65歳の職人は、中学卒業からずっと手袋を作り続けています。

佩は、このような本物の職人たちの手仕事をお届けします。

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