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手袋は「はく?」「つける?」

手袋は「はく?」「つける?」

豆知識

江本手袋 三代目、江本昌弘です。

 

江本手袋は創業して80年以上、手袋を作り続けてきました。

僕は生まれた時から手袋づくりの中で育ち、何の疑問も無く手袋に関わっていました。

以前、ふと思い立って図書館などで手袋(グローブ)とは何か、自分なりに調べてみたことを備忘録として残したいと思います。(思い出したら時々追記したいと思います)

 

なぜ、手袋は「はく」なのか?

日本における手袋の歴史は意外に浅く、外国から手袋の形をした「グローブ」がもたらされたのが寛永18年(1639年)といわれ、日本国内で手袋の製造が本格的に始まるのは明治になってからでした。

それまでは「手甲」のほうが一般的だったので、「グローブ」を日本語で表現するのに苦労したんだろうなと思います。

最初は「手靴(てぐつ)」と呼ばれていた

そこで最初についた名称が「手靴(てぐつ)」です。手の靴なので、身に付けるときは「履く(はく)」と言いました。

後に「手袋」と名称は変わりましたが、「手袋をはく」という言葉だけが残り、方言になった、と言われています。

ところが、ちょっと調べたら、上記の説に異を唱える方もいました。

福永探偵社〜追跡!北海道で「手袋はく」の謎〜

 

色々な話があって面白いですね。

 

以前、北海道を旅行したときのこと。バスガイドさんが「北海道では手袋を”はく”と言います」と方言の紹介をしてくれて、初めて「手袋をはく」は方言であることに気付いてとても面白かったことを思い出します。

 

香川県で手袋製造が始まったのは1899年(明治32年)と言われています。

その頃は手袋を作るためのメリヤス生地や革などの調達にも苦労していました。

手袋が珍しかった人々は、当時の高級品であった靴と同じように感じて手袋のことを「手靴(てぐつ)」と呼んだので、靴と同じように「はく」と表現するようになったのです。

そして明治は北海道開拓の時代でもあります。

屯田兵・開拓民は全国から青森に集められ北海道各地へ赴き、その際はじめて触れる手袋に、香川からの移民が使った「はく」という表現が、そのまま北海道に広まったと考えられています。

(ちなみに、今治の唐揚げを示す「ざんぎ」が北海道で広まったのも同じようなルートと考えられています。)

 

香川県東かがわ市は日本一の手袋の産地と言われています

先人の『手袋づくりをこの地域のみんなでやる仕事にしよう』という志から手袋産業は始まりました。

そこから産業として発展し、数々の手袋製造メーカーが生まれ、各家庭の内職や副業にまで浸透し、糸、生地、染色、ミシン、抜型、型抜き機、箱、印刷など、手袋づくりに関連する多くの仕事を産み、この地域の人々の暮らしを支えてきました。

手袋用のミシン、ハサミ、つみかえし棒、くりがね、日本で生まれた縫い方など、地域で独自に生まれた技術や道具もたくさんあります。

 

しかし今では、ほとんどの手袋は海外の生産ラインで作られるようになりました。

 

ひと昔前なら、町を歩くと駄菓子屋などの店が立ち並び、そこかしこの家から手袋を縫うミシンの音と子供たちの声が聞こえていましたが、町は時間が止まったように静まり返っています。

 

「職人を守り育てて、地域の手袋づくり文化を継承していきたい」

「先人たちが地域で育んだ手袋の技術を守りたい」

「手袋づくりで地域に貢献したい」

こんな思いが「佩(ハク)」という形になりました。

 

江本手袋に勤める65歳の職人は中学卒業からずっと手袋を作り続けています。

上質の生地、色を選ぶ楽しさ、昔ながらの手作業、自分たちが納得できる”人らしい”ものづくり。

こんな手袋職人がつくった手袋やマフラーの手触りと、職人の手仕事も知っていただければ嬉しいです。

手袋職人たちの手仕事・佩(ハク)オンラインショップ

また、洋式の結婚式で新郎が手袋を着用せず、右手に白い手袋を持つのは花嫁を守るための剣(つるぎ)の代わりで、昔の外国では実際に剣を持っていたそうです。

その手袋を手に持っていることを「佩く(はく)」「佩用(はいよう)」と言います。

手袋を「はく」というのは、手靴の「靴」だから「はく」と考えられていますが、ひょっとすると、手袋を「はく」は、「佩く」が本当なのかもしれませんね。

 

江本手袋 三代目 江本 昌弘

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